はじめに

この大自然が生み出す特有の気候こそ、山の恵みの源です。
自然豊かなバスク地方では、山はとても身近なもの。その中でもスペインとフランスの国境にまたがる壮大なピレネー山脈は、バスクの人たちにとって特別な場所です。
そのピレネー山脈の奥深で作られる、「ピレネーの宝」と呼ばれる特別なチーズがあることを知っていますか?
それが「ロンカルチーズ」。スペインでもっとも早くD.O.P.(原産地呼称保護=特産品のおすみつき)に認められた、歴史ある羊乳チーズです。
標高の高い山で育った羊のミルクから生まれるこのチーズは、バターのようなコクとピリッとした刺激が特徴。一度食べれば、きっと忘れられない濃厚な味わいが広がります。
この記事では、ピレネーとロンカルチーズをこよなく愛する、バスク在住 10年以上 × ワインアドバイザーの管理人が、ロンカルチーズの魅力を丸ごとご紹介します。
実際にチーズが作られるロンカル村を訪れた経験なども交えながら、バスクの風をお届けします。
ロンカルチーズとは?|バスク山岳地帯が育む“ピレネーの宝”

山の恵みが詰まったロンカルチーズ。
どれも個性豊かで美味しく、選ぶのに迷ってしまうのが唯一の悩みかもしれません。
ロンカルチーズ(スペイン語:Queso Roncal)は、スペイン北部のナバラ自治州に隣接するピレネー山脈のふもとで生まれた、羊乳から作られるセミハードタイプのチーズです。
この地域特有の厳しい自然環境と、代々受け継がれてきた伝統的な製法によって、深いコクと香り高い味わいが育まれています。
ロンカルチーズの最大の特徴は、スペインで最も早くD.O.P.(原産地呼称保護)認証を受けたチーズのひとつであること。1981年に公式に認められたこの認証は、「特定の地域・製法で作られたこと」と「高い品質」が保証されている証です。
羊乳ならではのリッチでクリーミーな味わいが魅力で、熟成が進むごとに香りが強くなり、奥行きのある風味へと変化していきます。しっかりとした歯ごたえのあるセミハードな食感も魅力のひとつ。
そのまま食べても美味しく、パンやナッツと合わせた前菜や、ピンチョス、サラダのトッピング、料理のアクセントにも活用されています。まさに、バスクとナバラの食文化を象徴する伝統チーズです。
ロンカルチーズを育む自然と伝統|移動放牧(Trashumancia)
ロンカルチーズが作られるのは、スペイン北部ナバラ自治州のロンカル渓谷。ピレネー山脈に抱かれたこの地域には、7つの村が点在し、雄大な山々と深い谷、豊かな森や草原が広がっています。

ピレネー山間に佇むこの村には、坂道沿いに石造りの家々が並び、季節の花々が彩りを添えています。

果てしなく続く緑の山並みに、心が静かにほどけていきます。
標高約1,000メートルの山岳地帯に位置し、冬は雪に覆われ、夏は青々とした高山植物が広がるこの自然豊かな場所は、チーズ作りに理想的な環境。夏と冬で気候が大きく変わるため、**「Trashumancia(トラスウマンシア)=移動放牧」**というユニークな放牧方法が今も守られています。
5月から夏の終わりにかけて、羊たちはピレネー高地の涼しい草原で新鮮な草を食みながら過ごし、秋から冬にかけては、雪を避けて温暖なナバラ南部のバルデナス地方へと移動します。ここはヨーロッパ最大級の砂漠もある乾燥地帯。一見不毛に見えますが、肥沃で牧草が育ち、羊たちが冬を越すのに最適な土地です。

スペイン各地には、これよりさらに長距離を移動する放牧文化も残っています。
ロンカル渓谷の農家では、ラチャ種やナバラ種といった在来の羊を主に飼育しており、生乳だけを使って、ロンカルチーズが手作業で作られています。山の草で育った羊のミルクは、特にコクがあり、豊かな風味が特徴です。

黒顔、白顔、「赤ら顔」など見た目はさまざま。毛の長さや色合いによって、ひとつひとつ違った表情を見せてくれます。
筆者がチーズ文化のある地域に暮らしていて実感するのは、「どんな草を食べているか」「どんな標高に住んでいるか」が、チーズの味に驚くほど影響するということ。
例えば、ほんの少し標高が高いとなり村の草を食べている羊のミルクから作るチーズは、同じ種類でも明らかにコクが強く濃厚なんです。
ピレネー山脈の高地という特別な自然環境で、季節ごとに移動しながら放牧される羊たちのミルクから生まれるロンカルチーズ――それこそが、力強く奥深い味わいの源です。
ロンカルチーズを守る「D.O.P.認証」って?
ロンカルチーズは、1981年にスペインで初めてD.O.P.(原産地呼称保護)認証を受けたチーズのひとつ。この認証は、「この場所で、昔ながらの方法で丁寧に作られている」ということを国がしっかり保証してくれる制度です。
つまり「ロンカルチーズ」と名乗れるのは、ロンカル渓谷で育った羊のミルクを使って、決められた伝統的な製法で作られたものだけ。このおかげで、名前だけを使った模造品や、大量生産で品質の落ちたものが出回るのを防いでいるんです。
さらにこの制度は、地元の酪農家や自然環境を守るための取り組みにもつながっています。たとえば、昔からこの地域で飼われてきた羊の品種を守ったり、放牧する羊の数に上限を設けたり。そうしたルールがあるからこそ、ロンカルチーズは今も変わらず深い味わいと個性を保ち続けているんですね。
ロンカルチーズの作り方――自然と職人の手が生む、ひとつの物語
ロンカルチーズは、ピレネーの自然の恵みと、地元の職人たちの確かな手仕事から生まれます。チーズづくりが始まるのは毎年12月から7月。羊たちのミルクが特に濃厚になるこの時期だけに限られているんです。
その製造過程は、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統的な手法に基づいています。
※作業工程の写真はすべてLarraチーズ工房公式サイト(https://www.quesoslarra.com/) のビデオより使用しています。

代々受け継がれてきた手仕事が、今もロンカルチーズの味わいに息づいています。
ミルクを温める
材料になるのは、地元で大切に育てられたラチャ種やナバラ種の新鮮な未殺菌乳(生乳)。未殺菌乳は、風味の元となる成分が豊富で、長い熟成を経てさらに風味が引き立ちます。
絞られた羊のミルクは軽く温められ、加工されます。こうして自然な酵素や微生物を活かし、チーズに深い味わいと風味をもたらします。

機械で温度を細かく管理しながら、伝統の技に現代の技術を取り入れています。
凝固とカード(固まったミルク)のカット
温めた羊乳に、羊の胃を乾燥させて作った天然のレンネットを刻んで加え、凝固させます。このとき、ミルクが固まることで「カード」と呼ばれる固まりができます。
ミルクが固まった「カード」を砕きます。この工程で水分が抜け、チーズの食感が決まります。固形分と液体のホエイ(乳清)を分け、ホエイを取り除きます。

チーズの食感を左右する、大切な工程です。
成形と圧搾
カード(固まり)を手で軽くまとめたあと、型に入れて成形します。布などで包み、専用の圧搾機でじっくりと水分を抜いていきます。

均等に並べられ、静かに水分が抜けていきます。
これらの作業、すべてが人の目と手で行われる手作業。ミルクの状態や室温・湿度を見ながら、「今がベストタイミング」と判断する経験と勘がものをいいます。
塩漬けと熟成
圧縮して余分な水分を抜いたあとは、塩漬けして熟成庫へ。ここで最低4か月以上じっくりと寝かされます。ピレネー山脈から吹くひんやりした空気と、ちょうどよい湿度の中で、少しずつ風味が深まっていくんです。


こうして自然と人の手が一緒に育てたロンカルチーズは、まさにバスクの文化と風土をそのまま味わえる、特別な存在なのです。
味わいと食感――ひと口で感じる、ロンカルの豊かさ
ロンカルチーズをひと口食べると、まず広がるのは羊乳ならではの濃厚でコク深い旨み。そのあとに、しっかりと効いた塩味が全体をキリッと引き締め、余韻が続きます。熟成が進むと、香りはさらに深まり、味わいもコクを増します。ときおり感じるスパイシーな刺激も、ロンカルならではの個性です。

カットされた断面とスライスされたロンカルチーズ。
締まった質感とほんのり艶のある断面から、濃厚な旨みが伝わってきます。
食感もロンカルチーズの大きな魅力のひとつ。セミハードタイプらしい、しなやかだけどしっかりとした歯ごたえがあります。若いロンカルはなめらかでクリーミーですが、熟成が進むと中に小さな結晶が現れ、噛んだときにザクッとした食感とともに、旨みが一気に広がります。
口の中でゆっくりと溶けていくうちに、羊乳のまろやかな甘みやほどよい酸味、そしてナッツやハーブを思わせるような複雑な余韻が次々と顔を出してきます。その奥行きのある味わいに、思わずバスクの風景が浮かぶよう。
ロンカルチーズは、食べるたびに自然の恵みと伝統の手仕事を感じさせてくれる、まさに記憶に残るチーズです。
楽しみ方――食卓を彩るロンカルチーズの魅力
シンプルな食べ方で、素材のよさを味わう
まずは素材そのものの味わいを楽しむのがおすすめ。現地でも親しまれている食べ方はとてもシンプルです。



おすすめの組み合わせ:
- カンパーニュやバゲットなどのハード系パン→ 香ばしいパンの風味がチーズのコクとよく合います。
- ナッツ(クルミ、アーモンドなど)→ コクのあるチーズにカリッとした食感が加わり、食べ応えアップ。
- ドライフルーツやはちみつ、マルメロ(カリン)のペースト→ 甘じょっぱいコントラストが楽しめる、デザート感覚の食べ方です。甘みと酸味がチーズの塩気と調和して、奥行きのある味わいに。
- サラダにプラス→刻んだロンカルチーズを加えるだけで、コクと旨みがぐっと引き立ちます。
ワインとのペアリングで、味わいをさらに深く
ロンカルチーズのしっかりしたコクや塩味は、ワインと合わせることでさらに引き立ちます。
相性の良いワイン:
- ナバラ産の赤ワイン
→ ローカル同士の組み合わせは間違いなし。深いコクと旨味が調和します。
- 樽熟成タイプの白ワイン
→ まろやかでボディのある白がチーズの風味を包み込みます。 - スパークリングワインやロゼワイン
→ 爽やかな泡や軽やかな酸味がチーズの濃厚さをすっきりと仕上げてくれます。
気分やシーンに合わせて、いろいろな組み合わせを楽しんでみてください。
購入と選び方――本物のロンカルチーズを見極めよう
**ロンカルチーズを実際に食べてみたい!**と思った方のために、できるだけ状態のよい本場のロンカルチーズを選んでいただけるよう、購入方法やチェックポイント、本物を見分けるコツをまとめました。
残念ながら日本では現在、一般的な流通は確認できませんが、現地を訪れる予定のある方には朗報です。 バスク地方やナバラ州の市場、チーズ専門店、スーパーマーケットなどで購入できます。サイズや熟成度の違うものが豊富に揃っていて、試食もできることが多いので、旅行中の楽しみのひとつとしてぜひ立ち寄ってみてください。

熟成によって驚くほど風味が変わるので、できれば試食して、幅広いラインアップから自分好みの味を見つけてみてください。
購入時のチェックポイント
1. 表皮の状態をチェック
伝統的なロンカルチーズは、やや厚めの茶褐色の皮で包まれています。

外皮もそのまま食べられます。
製品によってはグレーや赤っぽい色をしていることもあるので、購入前にお店で確認するのがおすすめです。
選ぶときのチェックポイント:
- 表面が乾いていて自然な色合い
- 割れや異常な湿気、カビがない
- ツンとした異臭がしない
表皮の見た目が整っていれば、内部の状態も良い可能性が高いです。
2. 熟成度で選ぶ
ロンカルチーズは熟成期間によって風味も食感も大きく変わります。

熟成の違いで、風味も大きく変化。
時間が経つほど香りと味わいが深まり、より濃厚に。
熟成による違い:
- 若め:ミルクの甘み、やわらかめの食感、バターのような味わい
- 熟成長め:ナッツのようなコク、しっかりした塩気、ザクッとした食感
どんな風味が好きか、店員さんに「どのくらい熟成していますか?」と聞いてみるのも◎。
3. 本物かどうかの見極め
市場には似たようなチーズも出回っているので、本物を選ぶにはラベルの確認がカギです。
必ずチェック:
- 「D.O.P. RONCAL」の表記があること
- スペイン・ナバラ地方産であること
- D.O.P.(原産地呼称保護)マークが、本場の証

左下の黄色と赤のマークは、D.O.P.認証を受けた品質の証しです。
そのほかのバスクを代表する羊乳チーズを試してみたい方は、イディアサバルチーズがおすすめ!日本でも手に入ります。
まとめ
ロンカルチーズは、ピレネー山脈の大自然と、そこに根ざす人々の暮らしから生まれた、特別な羊乳チーズ。
移動放牧を続ける羊飼いたちの手で、丁寧に受け継がれてきた味は、ひと口ごとにその風土と物語が感じられます。
興味を持った方は、ぜひ一度、現地でロンカルチーズを味わってみてください。
濃厚なチーズの向こうには、羊たちが草を食むピレネーの高地と、そこで吹く清らかな風景が広がっています。
きっと、いつもより少し豊かで、心に残る時間になるはずです。
また、実際に現地を訪れてみたい!と思った方は、レストラン情報や街歩きの情報もアップしていますので、あわせてごらんください。